脊柱管狭窄症 発症~治療~名医との出会い~現在 《手術編》
脊柱管狭窄症で肩から右腕、手の指までの痺れや麻痺の症状が出ました。
手術による治癒の経験を紹介します。
今回は《手術編》です。
手術を待つ間の入院生活は、
- 自由に外出できない
- 食事が病院食で味気ない
- 家族が側にいない
と、いう不便さなどはありましたが、入院時から首などの痛みも和らいだままで夜は熟睡できていましたし、同じ病室にいた人とも仲良くなり煙草を吸いながら喫煙所で会話を楽しんでいました。(現在は禁煙に成功して止めました)
手術前日、ナースステーションの側の病室に移動しました。
(いよいよだな・・・)
慣れた病室から移動した時には流石に緊張しましたが、担当医と麻酔医がそれぞれ会いに来て話をしてくれて緊張をほぐしてくれました。
(手術を受け入れる心の準備は出来ている)
(あの痛みを無くす為にここに入院し、明日手術を受けるのだ)
(執刀医の腕を信じて身を任せる覚悟はできている)
夜は普通に熟睡し手術当日を迎えました。
妻や両親、子供たちが病室に来て激励してくれます。
精神を安定させる点滴を入れてもらい、徐々に意識が朦朧としてきます。
でも看護師さんや先生、集まってくれた家族とは会話が出来ていたと思います。
いよいよ時間となり、移動用のベットに乗り移って廊下を進みます。
少しだけ緊張しますが覚悟を決めます。
エレベータで手術室のあるフロアに到着し手術室に入り手術台に乗り移ります。
朦朧とした意識の中で自分の力だけで移動しようとしますが、あまり体が言う事を聞いてくれなかった様に記憶しています。
「これから全身麻酔しますからね」という麻酔医の言葉と、「はい」と答えた事は覚えています。
その後、何か質問されて答えていた様な気もしますが覚えていません。
何も思い出せません。
・・・手術中・・・(当然何も知りません)
「○○さん、○○さん、聞こえますか?」
(呼ばれている)
(のどに何か詰まっている?)
声を出せずに頷きます。
「手術は無事終わりましたからね」
気が付いた時には既に手術が終わり、今朝居た病室に戻っていました。
横向きに寝かされており自分では寝返りが打てない状況のようです。
首にコルセットが取り付けられていた事と、麻酔がまだ残っていた事で重苦しさはありましたが痛みなどは感じませんでした。
口にはガーゼが、鼻にはチューブが差し込まれています。
痰を吸引して外に出さなければならない事と寝返りを自由に打てません。
当然トイレに歩いて行ける状況ではない為、全身麻酔が聞いている最中に尿道にチューブが挿入されており、小便はそれを通って尿瓶に入る様になっていました。
そんな事よりも、その当時の私にとって耐え難い苦痛は煙草を吸えなかった事でした。
(早く回復して歩行器で歩ける様になったらタバコを吸いに喫煙所に行けるんだ・・)
手術の三日後だったと記憶しています。
おならも出て、自分で寝返りも打てる様になった事を確認してもらい、歩行器を使用して歩く訓練を始める事になりました。
やっと歩ける嬉しさと、自分の首を支えられるのかという不安を抱えながら訓練を始めました。病室のあるフロアを往復する訓練を何度か繰り返し、自分で歩ける自信をつけました。
歩行器を使い点滴をぶら下げたままの歩行訓練です。
もう少し遠くまで行ってみようと、タバコとライターを持って喫煙所までの歩行訓練も開始しました。
エレベータを使って1階まで降り、正面入り口から外に出た所に喫煙所があります。
2月中旬の盛岡は雪景色、点滴を持って歩行器に体を預けた入院着を着た患者がタバコを吸いに喫煙所にいる姿は異常に映っただろうと、今では容易に想像できますが、当時は煙草を吸いに必死に何度も往復していました。
手術した首の様子は、特に痛みなどを感じる事はありませんでした。但し自分の首が重く、コルセットがあるので支えて居られますが自由に動かす事は出来ません。食事なども真っ直ぐに前を向いた状態で口に運ぶ動作になります。
数日してシャワーも入れるようになります。看護師が付き添ってシャワーを浴びますが、その時も真っ直ぐ前を向いた状態で洗う様に教えてもらいます。
看護師にシャワーを付き添われる恥ずかしさ・・?
そんなものはありません。シャワーを浴びれない間にベットの上で体を拭いてもらっています。改めて恥ずかしい等という感情を持つことはありません。
日に日に回復して自分でできる事が増えていく毎日です。
- 入浴も可能になります。
- 売店にも行けます。
- 点滴が外れます。
- 歩行器なしでも歩ける様になります。
- 自由に喫煙所に行ける様になります。
人間って、元気になってくると色々と欲が出てくる厄介な生き物です。
病院食が味気なくつまらないものに感じてきます。
病院食をあまり食べなくなり、売店で購入したカップラーメンやのり巻き等を食べる様になります。
外出も許可さえもらえれば出来る様になり、見舞いに来てくれた妻と外出して食事する事もありました。
外出許可を取らずに近くの本屋まで歩いて買い物に行ったこともありました。
この時は回復した事の嬉しさで、自分で色々できる喜びを楽しんでいたのだと思います。
今思うとただの我儘放題な不良患者ですが・・・ね。
《つづく・・》